yoshidaコラム

【運動嫌い】は体育の授業から始まる

やりたくないかけっこをさせられ、

苦手なドッチボールでただ逃げ回る、

それなのに順位を付けられる。

これは体育教育として正しいのでしょうか?

体育と運動嫌い

ウィキペディア
体育(たいいく)または身体教育(しんたいきょういく)とは、身体に関する教育を指す言葉である。スポーツとは区別される。

最後の一文が重要だと思います。体育はスポーツではないから一つの項目を高める必要はないのではないでしょうか?

もちろん、心身を磨いたり、競争心も重要だということは理解はしますが、

それで運動嫌いな子供が量産され、それがもとで大人になっても運動ができないということにつながる、これは教育といえないでしょう。

※学校の先生を一切否定していません。

運動が嫌いな人たち

僕は2012年~2020年までクリニックの運動療法を担当していました。

クリニックには生活習慣病の方が多く通われているのですが、内容は患者さんに運動のお話をして、できる運動を開始してもらうという業務です。

患者さんは医師から半ば無理やり私のもとに“送り込まれる”ので、通常の目的があるから行くフィットネスとは違うのです。

むしろできる限りやりたくないというような方々に運動療法をしていました。

患者さんとお話ししていると運動のイメージが悪すぎて、まるで罰ゲームかのように考えていると感じます。

その罰ゲームを指導するトレーナーが目の前にいるのですから、それはもう大変です笑。

一種の戦いです、世紀の一戦です!

運動を開始する第一歩を踏み出すことに力を注ぐのですが、実は、心理学、コーチング学、行動科学などを学んでいたので苦にならず、自分の力を存分にだせていました。

僕の育った田舎の自然豊かな環境や、アスリートの経験も大きく役立っていました。

運動のイメージと体育

そもそもやらなくても直ちに死に直面しないし、身体に負荷のかかることはきついことなので、誰しも好んでやらないことは分かります。

でも、必要なタイミングで「いざやろうと思える」のかというと、やろうと思えない方が圧倒的に多いです。

“きつくていい思い出がない運動”をやる内側からのモチベーションがでないのです。

運動のモチベーションレベル

私は、指導する際に必ずお客様のモチベーションのステージを理解します。例えば、先にお伝えした患者さんのモチベーションは全くありません。

対して、今年は海に行ってナイスバディなって水着を着る!という方はモチベーションMAXです。

少し専門的に(何故かトレーナーの教科書には載っていない)なりますが、人が行動を起こす動機づけの過程というものがあります。

動機づけ
行動を起こさせ 、目標に向かって維持・調整する機能を動機づけといいます。

簡単に言うと何かしたいと思い行動するってことです。

外発的動機づけ

報酬や評価、罰則や懲罰といった、外部からの働きかけによる動機付けを意味する

これって、まさに体育の授業じゃないかなと思わせます。

内発的動機づけ

物事に対する強い興味や探求心など、人の内面的な要因によって生まれる動機付けを意味する

内からでる楽しいと思える気持ちを幼少期に体験できていなければ、モチベーションは生まれません。

動機づけの過程

すご~く簡単に要約します。

動機づけの過程
外発的動機レベル高い:何かをもらえるから運動する、やらないと罰があるから運動する
内発的動機レベル高い:何ももらえなくても運動をすること自体が身体に良いからやる

下記に、私のサロンの研修資料に載せている一部をそのまま引用します。

自ら挑戦し克服できたときは“できた”という強烈な体験になり内発的動機づけが高まります。

内発的動機づけは、運動そのものが目標になるので自己成長の評価と、理解が深まるために継続しやすくなります。

外発的動機づけは目標のための運動であり自己成長の評価と理解が難しくなります。

内発的動機づけに導くためには、自己決定性がどの位置にいるのか評価し、一段階ずつ内発的動機に導くことです。

運動教育の時間という提案

吉田からの提案

体育の授業の是非は一度置いておいて、

別で、運動教育の授業があるといいと思います。いや、授業でなくていいです。

もしかしたら授業という考えが枠に収まってしまい、子供たちの運動教育をダメにしてしまっているかもしれません。

運動の時間

ヒントは給食の時間にあると思います。給食時間は授業じゃないのと同じで、運動の時間を重要な学校教育活動の一つとして考えるのはどうでしょうか?

僕の考える運動の時間は外に広場があって、いろいろな遊具や少し高い山があって登る子がいる、室内には体操ができるマットがある。そこで好き勝手に遊びまわって、場所によっては先生が体操を教える。

その子によって楽しいと思える運動は違うし、その時によっても変わるから自由に遊ばせればいいんです。

楽しいと思える環境はつくれるし、運動指導はできると思います。

事実、民間の体操教室は運動が苦手な子にもしっかりサポートして、様々な技術を駆使して一人一人に対応しています。

その教育で“運動が楽しい”というプラスの体験があれば将来必要な時に必要な運動をするでしょう。

山登りかもしれない、ジムかもしれないし選択は人それぞれです。

でも“運動は罰”というイメージがあれば、必要があってもやらないでしょう。それはクリニックの運動療法で経験済みです。

運動会

運動会はどうするかというとなくす必要はないです。足の速い子供たちで競わせましょう。

サッカーをやっている、野球をやっている、バスケットをやっている、それぞれの運動が得意な子たちで競い合わせて、

その競争をみんなで応援する。盛り上がりますよね!

今は減っている騎馬戦は良かったと思います。

脚が遅くても誰でも土台にはなれるし、力を合わせて作戦を立てて時には総合力で劣っていても勝てるという術を身に着けられます。

これって将来に役立ついい運動教育だと思います。脚は遅くても自分には適した運動があるんだと認識するし、運動に対するプラスのイメージ体験になります。

おわりに

改革は大変ですし、内部にいない人間が偉そうに独り言を言っていますが、僕の経験から述べました。

僕は、最高年齢96歳のおじいさま、最少年齢11歳の女の子を指導しています。指導を始めてそれぞれ4年以上になりますが、そもそも二人とも運動が得意ではありません。

年齢関係なく、運動のための運動では続かないのです。

その先にある、体調の良さや身体の変化を考えてモチベーションがありますが、

先のことを考えてもダメなんです。過去でもなく、今です。

96歳のおじいさまは、トレーナーに合うと「なんか元気が出る」と言っていただける、

11歳の女の子は、「だり~」って言いながら4年以上も続いている、なぜか?それは単に今の運動の効果があるからではないんです。

僕自身も運動に身体も心も救われているし、トレーナーとして20年近く多くのお客様とかかわっていても、運動でマイナスになる方は一度も見ていません。

すべての人に必要な運動の道を体育の授業で塞いでほしくないし、

まだまだパワーは小さいですが、僕がその道をつくっていくと約束します。

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